5月17日夕刻、千駄ヶ谷駅のアナウンスでポール・マッカートニーの国立競技場公演が中止になったことを知った時、ぼくは34年前の冬の朝、頭を下げ、じっと机の上を見つめながら涙を流していた少女のことを思い出していた。彼女も、この人波のどこかにいるのだろうか。今でも1980年1月の武道館のチケットを大切に持っているのだろうか。
「超高額のチケットをこぞって買い、寸前の中止に文句を言わず、払い戻しもしないで、次回公演を待ち望む発言をするおじさんたちって、『ビートルズ的』じゃないと思う。」「チケットが法外なことや、中止発表が遅すぎることにも怒りの声が聞こえてこない異常さ。ポールをまるで王様のように奉りすぎていないか?もう少しフラットな目線で接するべきだ。当の本人は『♪女王陛下はいい女』と歌った人だもの。」
共にスージー鈴木氏のツイートである。言わんとすることは分からないでもない。ぼく自身もついこの間まで、往年のロックスター達のボッタクリ商法にありったけの笑顔と盛大な歓声で応じてしまう無邪気でお人好しな中高年の音楽ファンをあざ笑っていた。しかし、これだけは言いたい。センチメントにすぎて自分でもいやになるが、ポールは今、この東京で病と闘っているのである。彼の病状を心配すること、そして、一ファンとして次回公演を待ち望むことのどこが「ビートルズ的」ではないというのか。高額チケットの問題と、アーティストの身を案じることとは全く違う次元の話ではないのか。ぼくは、34年前の少女のように、誰かのために一片の嘘も汚れも無い涙を流せる人は心から素敵だと思うし、もし「ビートルズ的」とは何かと聞かれたら、そのようなイノセントな気持ちを幾つになっても大切に持ち続けている人のことだと答えるだろう。